ボケないための

認知機能改善のために日々思いついたことを語るブログです

Monday 👀 その23 【脳に効くアハ】😎

脳に効くアハ




月曜日は、脳に嬉しいアハ体験!
若々しさに効く脳トレです。
是非、ご家族や友人に共有してみてくださいね。


本日はカクゲンです。
中日の・・・郭源治じゃないですよ!


それではいってみましょう!!


むしろ「成功は失敗のもと」と逆に言いたい。
その方が、この人生の面白さを正確に言いあてている。


岡本太郎と言えば、芸術は爆発だ! がCMなどで有名ですが・・・


この様に鋭い言葉を数多く残している。


「失敗は成功のもと」


失敗の原因を確認し、同じ失敗をしないように学べば、それは新たな「何か」の成功に近づく・・・


「成功は失敗のもと」


人生に必要な新たな何かが見えなくなる・・・


太郎の名言には、他にも


私は、人生の岐路に立った時、いつも困難なほうの道を選んできた。」



「逃げない、はればれと立ち向かう、それがぼくのモットーだ」



「危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ」



「手なれたものには飛躍がない、常に猛烈なシロウトとして、危険をおかし、直感に賭けてこそ、ひらめきが生まれるのだ。」



「自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ。」



「まっさらな目をもて! そして目的を捨てろ!」



などがあります。


太郎の父は漫画家の岡本一平、母は歌人で小説家の岡本かの子。


父方の祖父は書家の岡本可亭であり、北大路魯山人のお師匠さんです。


太郎は幼少より絵が好きでさかんに描いていたが、中学に入った頃から


「何のために描くのか」という疑問に苛まれた。


18歳の太郎は東京芸術学校を休学しパリに以後約10年間をパリで過ごすことになる。


芸術への迷いが続いていたある日、たまたま立ち寄った画廊でパブロ・ピカソの作品「水差しと果物鉢」を見て、強い衝撃を受ける。


そして「ピカソを超える」ことを目標に絵画制作に打ち込むようになる。


1940年、太郎はドイツのパリ侵攻をきっかけに日本へ帰国。1942年、31歳の太郎は帝国陸軍の兵士として召集され中国戦線へ出征。


太平洋戦争終結後、東京に戻りふたたび制作に励む。


36歳の太郎は新聞に
「絵画の石器時代は終わった。新しい芸術は岡本太郎から始まる」
という宣言を発表、当時の日本美術界に挑戦状を叩きつけた。


40歳の太郎は東京国立博物館で縄文火焔土器を見て衝撃を受ける。
翌年、美術雑誌に「四次元との対話 縄文土器論」を発表。


大阪で万国博覧会が開催されることが決まり、太郎はテーマ展示のプロデューサーに就任。
「とにかくべらぼうなものを作ってやる」
と構想を練り、総高70mの『太陽の塔』を制作した。


太郎は老いを重ねても創作意欲は衰えず、個展など精力的な活動を続けていたが、80歳のときに自身が所蔵するほとんどの作品を川崎市に寄贈。


1996年1月7日、岡本太郎はパーキンソン病による急性呼吸不全により死去、84年の生涯を閉じました。


「自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる。」

太陽の塔・秘蔵フィルム:岡本太郎vs石原裕次郎 1975年製作



格言・名言にもAHA!が・・・🍄🍄🍄
思い込みでもアハ体験・・・💊💊💊
新格言にもAHA!があるかも!・・・🌈🌈🌈






脳トレ👀なぞかけQuiz😎



難易度 😎😎😎


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ととく、その心は


🔲🔲🔲🔲🔲したい!!


1分以内に分かれば閃き✨スーパー脳デス!?


先ずはノーヒントで


(ヒント:🔲🔲ウ🔲🔲したい!)



答えは次回のコーナーで!!



前回の解答


脚の筋力が衰える🦵

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ゆっくり脱毛

ととく、その心は


徐々に🔲🔲🔲🔲🔲なる

   アルケナク



みーこさん🍍


ばみさん😺


ことりあんさん🐤


おとひめさん🌼


とまとんぐさん🍅


ACTさん🍠


敬老警備員さん👮‍♂️


ガジュマルさん🌱


りいちゃんママさん💓


keisukiyoさん🥗



👀コメント参加ありがとうございした😎😎😎




*日曜日と木曜日は、勝手ながらノースクリーンデー試行中です。
更新やコメント出来ませんが、多分、生きています、あしからず・・・





最後に脳を鍛えるなぞかけを一発!




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ととく、その心は



高いほど良く落ちます


ボケっちです😎

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